兎から色々駄々漏れてるだけ。
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別に小説に入れるほどでもないけど思いついたので書いてみる。
「あの子達、どこ行くの?」
そう、繋いだ手越しに母に問うた記憶がある。
以前から自分の家の周囲をうろついていた子達である。
自分よりも年のいった子供も居たが、中には同じくらいの年の子達もいて、気にはなっていた。
なっていた、のだが。
いつも周囲の大人達の言葉は同じ。
「あの子達には近づいちゃいけない」
「あの子達、どこ行くの?」
そう、繋いだ手越しに母に問うた記憶がある。
以前から自分の家の周囲をうろついていた子達である。
自分よりも年のいった子供も居たが、中には同じくらいの年の子達もいて、気にはなっていた。
なっていた、のだが。
いつも周囲の大人達の言葉は同じ。
「あの子達には近づいちゃいけない」
あの頃はわからなかったが、それは長ずるにつれておのずと理解することになった。
彼らは「外」の人間だった。
「里」の道理から外れた者達。
山に篭り、里の者達とも最低限しか関わらずに暮らす者。
町に住むものも、橋の下や廃屋、廃寺を寝床とし、親もおらず、時には盗みをする者。
どちらも共通するものは同じ。
「里」の暮らしを乱す者達だ。
そして、得体の知れない者。
里で暮らして、親類を亡くす者とは違う。
彼らの周りには、血は繋がっていなくとも周囲の人間が居る。
だが彼らは違う。
彼らの行動を把握する者はいない。
それは同時に彼らを保障する者が居ないということだ。
逆に言えば、彼らを留まらせるものが居ないということ。
後がない人間は、怖い。
しがらみのない人間は、何をするか分からない。
ましてや、自分達と違う、「外」で育った者達。
何をするのか、何を考えるのか。
何をしでかすかわからない。
恐ろしくて、共に過ごすことなどできはしない。
そう思うのが「里」の人間の「普通」だ。
そうして、物がわかる年頃になった自分は、友と呼べなかった子供達への心残りを捨てることになった。
そう、捨てたのだが。
昔、共に遊びたかったあの子供が、当時の面影を残しながらも無事に成長し、目の前に居る。
なにぶん、当時は幼かったのでよくは覚えていなかったのだが、確かに彼らは町を後にした記憶がある。
親もなくたむろする子供達が、旅回りの芸人や職人に連れて行かれることは時折あった。
多少、年がいってから知ったことだが、運が悪ければ人買いに連れて行かれることすらあったらしい。
らしい、と言うのは、今はもう町にたむろする様な子供は居ないからだ。
確か記憶では大人に連れられて行ったので、後からあれは人買いに連れて行かれてしまったのだと思っていたのだが。
どうやら違っていたようだ。
「お前、町に居たのか」
思ったままに言葉が口からこぼれるも、相手は気にしていないらしい。
にこりと笑うと、覚えているよ、と軽く昔話をしてくる始末だ。
そういえば、今更だが玉兎の衆は孤児上がりが多いと聞く。
なるほど。
彼らもその中の一人だったのか。
長年のしこりがスコンと落ちた。
今は不自由なく暮らしているのか、その身なりもこざっぱりと纏まっている。
「あんたあぁぁぁっ! 暢気にしてないで早く先生に診て貰って!」
昔を思い出していたせいか、間延びしていた頭に、女房の声が飛び込んで来た。
そうだ、子供の熱を診て貰うために玉兎に来て貰ったのだった。
それでは、と言い置いて子供の元に向かう背中を見て、これで安心だと安堵する。
玉兎の薬の評判は良い。
これでうちの子の熱も下がるだろう。
何より、「玉兎」の人間に診て貰うのだ。
子供を任せるのにこれほど安心できるところもない。
そういえば、三軒隣のじい様の腰痛も最近良くなったって聞いたな。
玉兎が薬を作り始めてから、熱を出して死ぬ子供も少なくなったし、良い連中が来たもんだ。
これからもこの里は安泰だな。
そう、見習いで付いて来たもう一人の玉兎に声を掛けると、彼女もまたにこりと笑った。
「兄様、なぜ里の人は私達を身内扱いするの?―――昔は私達を見なかったのに」
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