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婚礼の衣装に身を包んだ姉を見送った日は、さして昔ではなかったはずだ。
兄、と。
婚姻が決まり、祝いの席で兄上、姉上、と呼んだ日も、まだはっきりと覚えているのに。
美しい姉と、年若ではあるが落ち着いた風情の兄。
ここ数代で成り上がった我が家の男達とは違い、穏やかに笑む姿を物珍しく思っていたのも記憶に新しい。
その姉の嫁ぎ先に、自分も嫁ぐ。
なんとも不思議な面持ちである。
昔から背中を追う様に励んできた姉はもはやいないという。
残ったのはその血を引く赤子のみ。
姉が辿った婚家までの道を、同じ様に婚礼の衣装に身を包んだ私が辿る。
不思議な気持ちだ。
道々の景色を眺めても、どこか実感がわかない。
人が死ぬと言うのは、こういうものであっただろうか?
己の婚礼である。
誇らずしてなんとしよう。
だが、姉の死を現実のことと感じ切れていないせいか、重いはずの衣装もどこか他人事だ。
ようやっと四十九日が済んだかと思った。
それであるのに。
どこかぼんやりとしたその心持ちは、祝言が終わり、宴が終わり、夫となる男と改めて対峙しても続いた。
以前はまだ少年の面影を残していた男は、短期間でもはやその面影を覆していた。
同じ年月を過ごしているはずなのに、未だ幼い私とは違った、過ぎるほど急いで生きるような変わり様は、当主としての重みがそうさせるのか。
それとも、こんなに早く妻を失ったことがそうさせたのか。
「至らぬ身ではありますが、よろしくお願い致します。」
指をついて頭を下げる。
婚礼の衣装を着て姉の夫であった男に頭を下げるとは、なんとも言えぬ面持ちだ。
だが、これからは私の夫でもある。
これからは男の正室として過ごしていくのだ。
いつまでもぼんやりとしているわけにもいかない。
改めて身を正す心持ちを確認していると、上から声が掛かる。
「ああ、ゆっくりと慣れていけば良い。そなたの姉君もそれは―――」
不意に、言葉が切れた。
尻つぼみになるでもなく、話の途中で口を塞がれたかのような、そんな唐突な途切れ方。
しばらくしても声が続かないことを疑問に思い、下げていた頭を少しだけ上げて盗み見る。
当然だが、私の目の前、上座に座った男以外は誰もない。
すでに唇を閉じ、虚空を漂う瞳の中にかすかに映るのは、混乱か。
無意識のうちにか、喉元に手をやり、数度声もなく唇を開ける。
自分でも、なぜ言葉が途切れたのか理解できない、と言った風情だ。
宴の席でも、その前に私を出迎えた際にも見えた、落ち着いた当主の姿はそこにはない。
そこにあるのは、我が身に起こった不思議に純粋に驚いている男の姿だ。
何がその身に起きたのか、私には察することさえできない。
あの美しく、聡かった姉ならば。
彼女なら、上手くこの場を取り繕うこともできただろう。
私にはまだできない。
人のあしらい方を学ぶ時間。
それが足りなかった。
未だ幼いこの身が口惜しい。
あと数年。
あと数年、年を経てさえいえれば、夫となるこの男の心情を察することもできたのではないか。
私とて、今嫁ぐことなど望んでいなかった。
あとほんの数年の猶予があれば。
姉の後釜などではなく、正式に嫁ぎ話が舞い込む年齢まで年を経てさえいれば。
人の営みからすればほんの少し。
記憶を振り返るのも感じるのは少し前。
そんな、ほんの少しの年月。
その数年がいたたまれぬほど口惜しい。
どうすることもできずに、ただ時が流れる。
「―――心安く、過ごされると良い。」
沈黙を破ったのは、ようやく搾り出したとでも感じる男の声だった。
何度も口を開け、ようやっと口にすることができたのは、当たり障りのない言葉。
自分でも、今までの沈黙を気まずく感じていたのか。
こちらと視線を合わす様子はない。
再度頭を下げて礼を取る。
返答は、できなかった。
胸が詰まるとはこの事を言うのか。
声が――――出ない。
出る声もないのに、きつく口を閉じて部屋をあとにした。